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2020年04月26日
<No 21>
■思い出と感謝
富里の仕事が終わった帰り道、
いちご屋さんに寄ってみました。
2月の終わりに亡くなってしまった会長と
一緒に来たいちご屋さん。
20何年も一緒に仕事をしながら、
2人で食事に行った事も無かったので、
今となっては会長との貴重な思い出の場所です。
いちご屋のおじさんは変わらない笑顔で迎えてくれました。
会長とおじゃましたのは3〜4年くらい前のことだと思いますが、
お使い物の他、会社のみんなでと、
一番高価ないちごを買ってくれたように記憶しています。
会長と一緒に仕事ができなくなってしまった日も、
そしてお別れの日も、
突然すぎて、
感謝の気持ちを伝えられていない事が、とても心残りです。
会長が一緒に仕事をしようと呼んで下さり、今の私があります。
会長の下で仕事を続けられたことは、本当に幸せでした。
買って帰ったいちごは、
久しぶりにケーキを焼いて、たっぷりトッピング。
贅沢なケーキができました。
会長が与えてくれて、自分で選んだ道。
これからも後悔の無いように
進んで行きたいと思っています。
2020年02月14日
<No 22>
■田舎暮らしを始めた友達
友達が田舎暮らしを始めました。
毎日が田舎暮らしの私は「大丈夫?」と心配しましたが、
3ヶ月が過ぎ、とても楽しんでいる様子なのです。
まずお隣さんでもある、大家さんととても仲良しで、
今日は大根をもらった!柿をもらった!
そして年末にはお正月用品の買い出しに、朝早くから市場で一緒にお買い物。
ご近所づきあいってちょっと煩わしい
そんな風に思ってしまうところ、彼女はそこを楽しんでいる。
そして「中途半端な田舎じゃなくてド田舎」という環境に
都会からこだわりを持って移住される方も多いそうで、
先日は美味しいパンを買ってきてくれました。
このパン屋さんは築百年の古民家で営業されているらしく
蔵を薪窯に改装されたそうでCAFÉも併設されているとの事。
私自身もとても興味があり、今度訪ねてみたいと思っています。
元々“天真爛漫”という言葉がピッタリの彼女には
こんな田舎暮らしが合っていたのかもしれません。
新しい。便利。
そんな言葉があたり前になってしまっている今、
彼女から聞く“田舎暮らし”には不便さや、煩わしさがまるでなく、
とても新鮮です。
2020年01月19日
<No 23>
■令和2年
本年もどうぞよろしくお願いいたします。
私事になりますが、息子が成人式を迎え、
先週は、成人式会場に行ってきました。
成田市の成人式会場は数年前から成田空港です。
テレビで見たことはありましたが、
実際に行ってみると
駐車場の空きスペースみたいなところで
ちょっとビックリしました(^^;
息子は、小・中・高と成田市内の学校でしたので、
私も久しぶりに、小・中・高のママ友と会え、
一緒に子供たちの成長を喜ぶことができ、
とても嬉しかったです。
(今は、私だけでなく、親御さん方もたくさん会場に来ています)
そしてお正月と言えば成田山。
話に聞くと、今年はとても人出が多かったようです。
元旦に「開運!バナナバカリぶらり」というテレビが放送され
いつもと違う成田山や仲之町のお店を見ることができました。
オモシロかったです。
今年も運気上昇の街成田が
ますます賑やかに、
そして活気づくことを願いたいと思います。
2019年12月08日
<No 24>
■師走
今年は、毎年恒例行事だった紅葉狩りにも行けず、
ゴルフ場で少し楽しんだ程度で師走を迎えました。
写真は大栄カントリー倶楽部です。
台風15号で大変な被害を受けたと聞きましたが、
もう全く台風の痕跡もなく手入れが行き届き
やっぱり素晴らしいゴルフ場でした!
大好きなコースのひとつです。
そして、仕事のこと。
先日、入居申込書をいただいた時の
FAX送付書に何気なく書かれた一言。
嬉しかったです。
私にできる事は限られていますが、
こんな事言われたら
「できる限りのことはしてあげたい!」と思ってしまいます。
仕事の相手方にも、エネルギーを与えられる一言。
そんな一言によって、光の連鎖というか、
物事がみんな良い方向に引っぱられて行くと思うのです。
私も見習いたいと思いました。
とても気持ちの良いお取引をさせていただき、
ご縁をいただきました事に感謝!!
ありがとうございました^^
2019年09月22日
<No 25>
■停電生活
台風15号により、我が家も9月9日の明け方から停電となりました。
せいぜい2〜3時間で解消されるだろうと、その時はまだ呑気に構えていました。
でも、なかなか復旧に至らず、
出勤時間が近づくと、ご飯も炊けていない。
顔も洗えない(井戸水のため)。ドライヤーもかけられない。
それでも、東日本大震災の時と同じように
午前中くらいは復旧に時間がかかるのかも…と思いながら職場に向かいました。
その時、千葉県中で停電していることなど、知りもしません。
職場は停電はありませんでしたが、
台風被害の電話が多く、対応に追われ家に帰ったのが20時頃でした。
暑い。暗い。眠い。ものすごい不快感の中、
家族の前ではいつもどおりでいるよう努めました。
停電生活2日目。職場から発電機を貸してもらえました。
これを井戸ポンプに繋ぎ、水が出るようになった事で、
精神的にとても救われました。
夜は家族で茨城の入浴施設まで行き、食事をして、ほんのひと時の気分転換。
いつまでこんな生活が続くのかと思いながらも、
与えられた状況の中でいかに気持ちよく過ごすことができるか
なんとなくコツをつかみ始めた3日目。
4日目になると、復旧をあきらめかけ、
ろうそくの灯に、癒されるようになっていました。
また同じ思いをしている停電仲間との励ましあいにもチカラがわきました。
5日目の夜中、やっとやっと復旧。
令和元年千葉の大停電。終わってみれば立った4日間の事でしたが、
電気が無いとこんなに何にもできないんだと、自分の無力さをあらためて思い知らされました。
一日も早い千葉の復興を願いたいと思います。